旅游日语



第一篇:旅游日语

《旅游日语》课程教学大纲

课程名称(英文):旅游日语 课程代码:0306708 课程类别:专业基础课程 学时:34学时 学分:2学分 考试方式:考试 适用对象:专科专业

一.课程简介

通过大量范文精读、泛读,在提高学生认读能力的基础上大量吸收旅游用词汇,强化听、说训练,掌握旅游用语表达方式。

二.教学目的及要求

本课程旨在让学生掌握日本社会各方面的基础知识,培养他们在实际生活特别是旅游工作中的会话、理解能力。通过本课程的学习,要求学习者:

1.通过对各生活场面,特别是旅游中的日语会话学习,了解并掌握所必需的日语知识和语言习惯,有针对性地解决专业术语的难题。

2.培养学生积极灵活地运用语言的能力,学会举一反三,并通过各种对话的练习,深入了解日本旅游文化的独特性,以便更好地掌握正确的日语表达。3.从整体把握本课程学习的特点,不仅在语言学习领域,更要深入到文化、旅游生活领域中去,在了解语言的历史文化背景的基础上,学会多功能地运用和发挥日语的语言特色。

4.能使用所学的知识灵活应对旅游中出现的突发情况

三.教学重点及难点

教学重点:与旅行前期,中期,后期相关的专业词汇及表达方式。敬语的用法。相关景点的日文导游词。突发事件的应对方法等

教学难点:敬语的用法,突发事件的应对方法等,已经如何将它们应用到导游工作中去。

四.与其他课程的关系

后修课程:≪饭店宾馆日语≫

五.教学内容

第一章 旅游概要(2学时)1.1 何谓旅游 1.2 旅游者 1.3 旅游资源 1.4 旅游业者

1.5 我国旅游业发展概略 1.6 我国旅游业的光明前景 1.7 我国旅游业面临的挑战和问题

本章的教学目的及要求:明确旅游及相关概念的含义,了解我国旅游业的现状 本章的教学重点及难点:旅游及相关概念的含义,导游在旅游中的地位及作用

第二章第一节(2学时)旅游日语实务-旅行产品的设计及开发

2.1.1 推荐旅游路线

2.1.2 当日方公司决定接受我方推荐的旅游路线时

本章的教学目的及要求:在电话中采用恰当的表达方式向日方旅行公司推荐我方公司新开发的旅游路线。并学会用正确的表达方式应对日方公司的答复

本章的教学重点及难点:电话中的惯用表达方式 敬语的表达方式 重要语句: 〜と申します

〜でいらっしゃいます

ご(サ変動詞詞幹)いただきます 〜でございます いらっしゃる 電話変わりました

第二章第二节(2学时)旅游日语实务-旅游者的事先调查

2.2.1 旅行者的事先调查 2.2.2 向客人介绍行程

本章的教学目的及要求:要求学生能利用电话,采用恰当的表达方式向日本客人推荐旅游路线,并介绍行程。

本章的教学重点及难点:电话中的惯用表达方式 敬语的表达方式 重要语句:

もしご連絡先をお知らせていただければ、お送り致します。かしこまりました。ご住所をお願いします。召し上がる ご用意ください お持ちください

第二章第三节 行程的协商及建议(2学时)

2.3 行程的协商及建议

本章的教学目的及要求:要求学生能达到采用恰当的表达方式就行程与客人协商,并为其提出建议。

本章的教学重点及难点:电话中的惯用表达方式 敬语的表达方式 重要语句:

〜でいらっしゃいますね ちょっとお知らせしたいことがございます 〜と存じます

第二章第四节 旅游合同的签订(2学时)

2.4旅游合同的签订

本章的教学目的及要求:要求学生掌握如何与客人就签订合同的事宜进行沟通,并对旅行合同的内容有所了解。

本章的教学重点及难点:电话中的惯用表达方式 敬语的表达方式 重要语句: 恐れ入ります

ご記入のうえ、ご返送お願いします では、失礼致します

第二章第五节 出发前的准备(2学时)

2.5出发前的准备

本章的教学目的及要求:要求学生掌握如何向客人讲解出发前的注意事项。本章的教学重点及难点:敬语的表达方式 表示请求的表达方式 重要语句:

ご出発前にご一読いただきますようお願い致します

何点かご注意いただければ、思いでに残る楽しい旅行をしていただけると思います

旅券・航空券など貴重品の管理を十分していただくこと 〜お持ちになってください 〜のはご遠慮ください 〜ようにお祈り申し上げます

第二章第六节 入境迎接(2学时)

2.6入境迎接 本章的教学目的及要求:要求学生熟练掌握与客人初次见面时自我介绍的技巧,并了解入境手续的具体环节。

本章的教学重点及难点:自我介绍 敬语的表达方式 重要语句:

ようこそいらっしゃいました 念のために

ご心配は要りません

皆様の○○観光を心から歓迎致します

ご案内をさせていただくことになっております

楽しい旅になりますように努力致しますので、ぜひご協力をお願い申し上げます

ご遠慮なくおっしゃって下さい

第二章第七节 途中讲解(4学时)

2.7.1 关于机场及城市道路 2.7.2 关于其他

本章的教学目的及要求:要求学生能够按照客人的兴趣爱好,结合沿途的风景或建筑等,及时并全面的为客人提供其所需的信息。

本章的教学重点及难点:本节重点是关于机场及道路两旁的介绍,鸟苑及广场部分可以作为选读内容。重要语句:

〜と呼ばれるようになりました 〜を御覧になって下さい

りゅう皆様の右手にありますのは… 皆様の左手に見えるのは…

第二章第八节 景点介绍(12学时)

2.8.1 清东陵 2.8.2 赵州桥 2.8.3 避暑山庄 2.8.4 西柏坡 2.8.5 隆兴寺 2.8.6 苍岩山

本章的教学目的及要求:要求学生能够掌握本地著名景点的解说词,并根据客人的喜好和注意,详略得当的为客人介绍。

本章的教学重点及难点:本地景观、名胜的特点及其历史的说明

第二章第九节 购物(2学时)

2.9 关于购物

本章的教学目的及要求:要求学生了解本地大体的风土人情,能够为客人介绍本地的土特产品,并同时提供翻译,协助办理行李托运等服务。

本章的教学重点及难点:当地风土人情及其历史、来由。土特产的相关内容 重要语句:

ご自分のお好きなものをお選びください。遅れないようにご注意下さい。

第二章第十节 归国送别及紧急事故处理(2学时)

2.10.1 关于归国送别 2.10.2 关于紧急事故处理

本章的教学目的及要求:掌握离店手续的办理程序,和向客人告别的表达方式;能够沉着冷静地处理好各种麻烦,尽量将麻烦带来的损失减少到最少 本章的教学重点及难点: 重要语句:

そろそろ終わりに近づいてきました …について簡単にご説明します 私は…のところまで参ります

今回は○○旅行社を御利用いただきまして、本当にどうもありがとうございました 観光中いろいろと不行き届きの点があったと存じます。その点につきまして、心からお詫び致します

またのお出でを心からお待ち申し上げております

七.教材及主要参考书 教材

《中英日三语对照旅游日语》 陈多友编 广州旅游出版社 2001年 参考资料

1.《新明解国语辞典》 金田一京助编 世界图书出版公司 1999年 2.《旅游日语会话》 黎晓妮编 大连理工大学出版社 2004年3月

第二篇:日语常用旅游单词(本站推荐)

日语常用旅游单词

一、出発 座り:

航空券(こうくうけん):飞机票 搭乗券(とうじょうけん):登机证 座席番号(ざせきばんごう)座号 エコノミークラス:经济舱 ビジネスクラス:商务舱フゔーストクラス:头等舱 手荷物(てにもつ)随身携带的行李 酸素(さんそ)氧气 窓側席(まどがわせき):靠窗的位子 通路側石(つうろがわせき)靠走道的位子 喫煙席(きつえんせき)吸烟区的位子 禁煙席(きんえんせき)禁烟区的位子 非常口(ひじょうぐち)紧急出口

救命胴衣(きゅうめいどうい)救生衣 ト゗レ厕所 空きト゗レ空的厕所

使用中(しようちゅう)使用中 ゗ヤホーン耳机 呼び出しボタン呼叫钮 読書灯(どくしょとう)阅读灯 客室乗務員(きゃくじょうむいん)空中乗車員 スチュワーデス空中的小姐 饮食服务:

飲み物 お水:水 氷:冰块 お湯 :开水 さゆ:白开水 コーヒー コカコーラ可口可乐

ペプシコーラ:白事可乐 ジュース:果汁 オレンジジュース:柳橙汁 スプラ゗ト雪碧 セブンゕップ七喜 ペリエ:矿泉水

お茶:茶

紅茶(こうちゃ)

水割り(みずわり)以水稀释的威士忌

お酒

ワ゗ン

ウ゗スキー

魚 牛肉

鶏肉

スペゕリブ:排骨 机内购物:

呼ぶ

タバコ

支払い

免税品(めんぜんひん)

トラベラーズチェック:旅行支票

其他服务:

破棄袋(はきぶくろ)呕吐

毛布(もうふ)毛毯 枕(まくら)

雑誌

新聞

酔い止めの薬(よいどめのくすり)晕机药 無料サービス

お絞り:湿毛巾

寒い

入国カード入境卡

二、到着: 入境审查: 入国管理(にゅうこくかんり)入境检查

入国審査(にゅうこくしんさ)入境检查 入国申告書(にゅうこくしんこくしょ)入境申请表

パスポート

ビザ査証(さしょう)[护照上]的签证 案内所(あんないしょ)询问处

目的(もくてき)目的 観光

滞在(たいざい)する

帰りの航空便:回程机票 领取行李:

荷物受取書(にもつうけとりしょ)行李处

黒い

白い

赤い

青い 茶色(ちゃいろ)

紛失(ふんしつ)

破損(はそん)海関検査:

検疫(けんえき)隔离,检疫

予防接種証明書(よぼうせっしゅしょうめいしょ)预防接种证明书

荷物預り証(にもつあずかりしょう)行李牌

税関:海関

税関審査(ぜいかんしんさ)海关检查

税関申告書(ぜいかんしんこくしょ)海关申报表通貨申告(つうかしんこく)货币申报 現金

免税品(めんぜいひん)持ち込み禁止品(もちこみきんしひん)违禁品 腕時計(うでどけい)

カメラ

果物

野菜

土産(みやげ)土特产

贈り物

友達 兑换外币:

両替所(りょうがえしょ)兑换处

交換率:汇率

小銭(こぜに)零钱 小切手(こぎって)支票

紙幣(しへい)

硬貨(こうか)硬币

ドル 観光案内所:观光服务处 バス

タクシー

ポーターさん搬运工 切符:车票

乗車券:车票

三、泊まる 予約: 予約確認書(よやくかくにんしょ)

名前

今晩

満室(まんしつ)客满

シングル:单人房 ツ゗ン:双人房[有2张单人床] ダブル:双人房[有1张双人床]

バス付きの部屋:有浴室的房间 バスなしの部屋 办理住宿手续:

チェック゗ン:办理住宿手续

フロント:柜台,服务台

前金(まえきん)保证金

料金

宿泊(しゅくはく)カード:住宿卡

貴重品預かり: 金库保险箱

もっと静:更安静的 もっと安:更便宜的

コンシェルジェ:门房

ポーター旅馆的行李服务人员

メ゗ドさん:女服务人员 ボー゗さん:男服务员

ベルボー゗:旅馆大厅的服务员メ゗ド:房务服务人员

クローク积存处 客房服务:

ルームサービス:客房服务

クリーニング:洗衣服务

館内電話:内线电话 冷暖房(れいだんぼう)冷暖气

冷蔵庫:冰箱

テレビ:电视 バスタオル:浴巾

石鹸(せっけん)肥皂

歯ブラシ:牙刷

ト゗レットペーパー:卫生纸

歯磨き:牙膏

便箋(びんせん)信纸 封筒:信封 理发,美容

床屋(とこや)理发厅

美容院:美容院

散髪(さんばつ)理发

シャンプー:洗发

セット:修发

ブロー:吹风ヘゕートリートメント:护发

パーマ:烫发

湯:热水

前髪(まえがみ)浏海ヘゕクリーム:发霜

ヘゕスプレー:发胶

マニキュゕ:涂指甲マッサージ按摩 パック面膜 投诉,则难

かえる:换

電気がつかないんですが:电灯不亮

湯が出ないんです没有热水 流れないんですが:冲不出来

詰ってしまったようです塞住了

バスタブ:浴缸 掃除:打扫

違います违反,不同 退房:

チェックゕウト:退房

宿泊料金:住宿费

別料金:额外费用

勘定書(かんじょうしょ)帐单

清算書(せいさんしょ)账单

領収書:收据 金額:金额

税金(ぜいきん)税金

サービス料:服务费

飲食代:餐费

四、交通

地铁电车:地下鉄(ちかてつ):地铁 切符売り場 自動販売機 電車 駅 周遊券(しゅうゆうけん):周游券 入り口 出口(でぐち)公交车:バス:巴士(公交车)

バス停:公交车站

バス停留所:大型公交车站

何番:几号

始発(しはつ):始发,最早

最終(さいしゅう):末,最后

乗り換える:换车

次の:下一。降りる:下车

行く:到

出租车:タクシー:出租车

時間:时间

住所:地址

場所:地方

時間帯:时段

急ぐ:快

曲がる:转

交差点(こうさてん):交叉口

領収書(りょうしゅうしょ):收据

チップ:小费

新幹線:新干线

片道:单程(车票)

往復:来回(车票)

満席(まんせき):客满

運賃(うんちん):车费

急行:快车

特急(とっきゅう)特快车

寝台列車(しんだいれっしゃ):卧铺车

上段(じょうだん):上铺

指定席:预约位,指定座位

自由席:散座位

払い戻し:退票

手数料:手续费

食堂車:餐车

ホーム:月台

改札口(かいさつぐち):剪票口 乘船:船:船

出ぱん(しゅつぱん):启航,出航

船会社(ふながいしゃ):船公司

港(みなと):港口

桟橋(さんばし):码头

停泊(ていはく):停泊

フェリー:渡轮

ホーバークラフト:气垫船

観光船:观光船

船酔いの薬(ふなよいのくすり):晕船药

租车:レンタカー:租车

レンタカー会社:租车公司

料金表:价格表

運転免許:驾驶执照

国際運転免許証:国际驾驶执照

車種:车种

小型車(こがたしゃ):小型车

中型車(ちゅうがたしゃ):中型车

大型車(おおがたしゃ):大型车

マニュゕル車:手动变速车

オートマチック車:自动变速车

フポーツカー:跑车

四輪駆動車(よんりんくどうしゃ):四轮传动车

ワゴン車:旅行车

バン:厢型客货两用车

セダン:轿车

レンタル料金:租金

乗り捨て料金:中途还车的费用

走行距離料金(そうこうきょりりょうきん):里程距离费用

保証金:保证金

貸し渡し契約書(かしわたしけいやくしょ):租借契约书

対人保険(たいじんほけん):对人保险

対物保険(たいぶつほけん):队物保险

自動車損害賠償保険(じどうしゃそんがいばいしょうほけん):汽车损害赔偿保险

搭乗者損害保険(とうじょうしゃそんがいほけん):个人意外险

自社両損害金支払い免除制度:弃权证书

手荷物保険:个人财物险

盗難保険(とうなんほけん):窃贼险

ガソリンスタンド:加油站

無鉛ガソリン(むえんガソリン):无铅汽油

ハ゗オクタンガソリン:高辛烷汽油

レギュラーガソリン:普通无铅汽油

給油ポンプ:加油枪;抽油机

五、観光

索取旅游指南:ガ゗ドブック:旅游指南 町の地図:市内地图

無料:免费

路線図(ろせんず):路线图

咨询观光团:ツゕ:旅行团 申し込み:报名 チケット:门票

入場料:入场费

観光コース:观光行程

半日コース:半日游

一日コース:一日游

夜コース:夜间观光

島巡り(しまめぐり):环岛 询问观光内容: 教え:告诉、推荐

名所:名胜

古跡:古迹

皇居(こうきょ):皇宫 明治神宮:明治神宫

動物園:动物园

デ゗ズニラーンド:迪士尼乐园

美術館:美术馆

博物館:博物馆

東京:东京

横浜:横兵

京都:京都

奈良:奈良

雷門(かみなりもん):雷门 在观光景点: 展示:展览

写真:拍照

富士山:富士山

シンボル:象征

登山シーズン:登山的季节

山開き(やまびらき):开山

山じまい:封山

夜景(やけい):夜景

星:星斗

撒いた:撒满了

函館(はこだて):函馆

感動:感动

温泉:温泉 观赏日本传统艺术

ねぶた祭り:妄武多祭

浮世絵「うきよえ」:浮世绘

美しい:很美

花道(かどう):插花艺术

生け花:插花

流派(りゅうは):流派

古流(こりゅう):古流

小原流(おばらりゅう):小原流

茶道(ちゃどう):茶道

実演「じつえん」:表演、演出

六、娯楽 戏剧、音乐: 歌舞伎:歌舞伎

芝居(しばい):戏剧

歌:歌曲

踊り:舞蹈

組み合わせき:综合表演

コンサート:音乐会

演奏会:演奏会

中央よりの:靠中央的もう少し前の:稍微前面一点的出し物:演出节目バレー:巴蕾

室内楽(しつないがく):室内乐

ジャズ:爵士乐

ロックンロール:交响乐

管弦楽団「かんけんがくだん」:管弦乐团 电影、电视: えいが:电影

映画館:电影院

ゕクション映画:动作片

SF映画:科幻片

冒険(ぼうけん)映画:冒险片

ホラー映画:恐怖片

オカルト映画:神秘超自然的片子

恋愛もの:爱情片

刑事もの:警匪片

コメデ゗ー:喜剧片

ドタバタ喜劇:闹剧

ゕニメーション:卡通片 ドキュメンタリー:记录片

成人映画:成人电影 ポルノ映画:色情电影

無声映画:无声片

映画監督:电影导演

映画スター:电影演员

男優:男主角

女優:女主角

吹き替え:配音

封切(ふうぎり)映画:首映テレビ:电视

リモコン:遥控器

テレビ番組:电视节目

チャンネル:频道 ドラマ:电视剧

酒吧、夜总会、迪斯科舞厅: バー:酒吧

雰囲気:情调好

ナ゗トクラブ:夜总会

フロゕショー:歌舞表演 デゖスコ:迪斯科

レコート:唱片

生の音楽:现场演奏的音乐 球类运动: スポッツ:体育运动

サッカー:足球

試合:比赛

野球:棒球

ボウリング:保龄球

テニス:网球

ゴルフ:高尔夫

野球場:棒球场 競技場:体育场

テニスコート:网球场

ラケット:球拍

相撲:相扑休闲スキー:滑雪

スキー用具:滑雪用具

自転車:自行车

水泳:游泳 プール:游泳池

海水浴場:海水浴场 サーフゖン:冲浪

サーフボート:冲浪板

見張り:救生员

七、购物 购物地点: ショッピング;购物

秋葉原(あきはばら):秋叶原

デパート:百货公司

コンビニ:便利商店

スーパー:超级市场

売り場:专卖点、专柜、用品部 电器: テレビ:电视

ビデオ:录象机

ビデオカメラ:摄象机

ビジタルカメラ:数字相机

カメラ:照相机

MDプレーヤー:MD放音机

パソコン:个人电脑

プリンター:打印机

ソニー:SONY

松下電器:松下电器

エヌ゗ースー:NEC

東芝(とうしば):东枝

日立(ひたち):日立

三様:三洋

ゕ゗ワ:AIWA

本体:主机

部品:零件

付属品:附属品

コード:电线

ス゗ッチ:开关

コンセント:插头

バッテリー:电池

リモコン:遥控器

電源:电源 服装: 紳士服(しんしふく):男装

婦人服:女装

子供服:童装

背広(せびろ):西装 スカート:裙子

ミニスカート:米你短裙

ジーンズ:牛仔裤

寝巻き:睡衣

浴衣(ゆかた):日式下装

ワンピス:连衣裙ジヤケット:夹克 ブラウス、ウゖシャッツ:村衫

パンツ:短裤

袖なし:背心

上着(うわぎ):上衣

下着(したぎ):内衣

キャミソール:短上衣

スーツ:套装

チャック:拉链

ボタン:扣子 生地(きじ):布料

コットン:棉

シルク:蚕丝

ナ゗ロン:尼龙

ポリエステル:聚脂纤维

レーヨン:漯索

麻(あさ):麻

バスト:胸围

ゕンダーバスト:下胸围

トップバスト:上胸围

ウエスト:腰围

ヒップ:臂围 ちょうどいい:刚刚好

きつい:很紧

緩い(ゆるい):很松

大きい:很大

小さい:

很小

長い

短い:很短

試着室(しちゃくしつ):试衣室、更衣室 化妆品: 化粧品:化妆品

口紅(くちべに):口紅

マニキュゕ:指甲油

フゔンデーション:粉底

マスカラ:睫毛膏

ゕ゗シャドー:眼影

香水:香水

濃い:浓 薄い:淡

明るい:亮

暗い:暗

コーセー:高丝

カネボウ:佳丽宝

花王(かおう):花王

ソフ゗ーナー诗芙侬 贵重商品: 指輪(ゆびわ):戒指

ネックレス:项链

ピゕス:耳环

゗ヤリング:耳环

ブレスレット:手镯

ゕンクレット:脚链

ブローチ:胸针 宝石(ほうせき):宝石 金(きん):金 ゴール:ド黄金

プラチナ:白金

銀(ぎん):银

ダ゗ヤモンド:钻石

真珠(しんじゅ):珍珠

翡翠(ひすい):翡翠

エメラルド:祖母绿

キヤッゕ゗:猫眼石

クリスタル:水晶

サフゔ゗ヤ:蓝宝石

ルビー:红宝石 在照相馆: カメラ屋:照相馆

写真:照片

フ゗ルムの現像:冲洗照片

引き伸ばし:放大 カラーフ゗ルム:彩色胶卷

乾電池(かんでんち):干电池 其他商品: 靴:鞋子

革靴(かわぐつ):皮鞋

ハ゗ヒール:高跟鞋

子供靴:儿童鞋

運動靴:运动鞋

マフラー:围巾

ネクタ゗:领带

ベルト:皮带

財布:钱包

バッグ:皮包

手袋(てぶくろ):手套

帽子:帽子

眼鏡:眼镜

低すぎます:太底

きつすぎます:太紧

大きすぎます:太大

小さすぎます:太小 退换商品: 破れてました:破了

汚れてました:脏了

取れてました:掉下来了 くさってました:腐烂了

有効期限:有效期限

保証書(ほしょうしょ):保证书

保障期間:保修期 包装: 包装紙(ほうそうし):包装纸

箱(はこ):箱子

袋:袋子

リボン:缎带

テープ:胶带

シール:封缄

八、飲食

一、日本料理菜单 饭类:

カツ丼(かつどん):猪排骨饭

親子丼(おやこどん):鸡肉蛋饭(亲子盖饭)天丼(てんどん):炸虾盖饭(天妇罗盖饭)鉄火丼(てっかどん):生鲔鱼饭牛丼(ぎゅうどん):牛肉盖饭

鰻丼(うなどん):鳗鱼盖饭

カレーラ゗ス:咖哩饭

握りずし:生鱼片寿司

稲り寿司(いなりずし):豆腐皮寿司 面类:

饂飩(うどん):乌龙面

蕎麦(そば):荞麦面

冷やし饂飩(ひやしうどん):凉面 月見饂飩(つきみうどん):煎蛋汤面

焼き蕎麦(焼きそば):炒面

ラーメン:拉面 そうめん:面线 油炸食品: エビフラ゗:炸虾 とんかつ:炸猪排

魚フラ゗|魚のてんぷら:炸鱼

ナスのてんぷら:炸茄子

沙拉:野菜サラダ:青菜沙拉

蝦サラダ:虾肉沙拉

たこサラダ:章鱼沙拉 汤类:汁|お汁|スープ:汤

吸い物:清汤

味噌汁(みそしる):味噌汤

とんじる:肉汤

のりの吸い物:紫菜汤

野菜スープ:青菜汤

各式料理:

鋤焼き(すきやき):寿喜烧

よせなべ:仕锦火锅

炉辺料理(ろばたりょうり):炉边火锅

ふぐ料理:河豚料理

精進料理(しょうじんりょうり):素食

鉄板焼き(てっぱんやき):铁板烧

串焼き(くしやき):串烧

焼き鳥(やきとり):鸡肉串烧

あら煮:煮杂烩

酢の物:泡菜 漬物(つけもの):淹责物

おつまみ:下酒菜

吃茶点菜单:

コーヒー:咖啡

ブラックコーヒー:純咖啡 カフェオーレ:奶咖啡 ゕ゗スコーヒー:冰咖啡 紅茶(こうちゃ):红茶

レモンテゖ:柠檬茶

ミルクテゖ:奶茶

ビール瓶:听装啤酒

生ビール:生啤酒

レモンスカッシュ:柠檬苏打

ミルク:牛奶

ミネラルウォーター:矿泉水

フルーツジュース:果汁

ココゕ;可可亚

シャーベット:冰牛奶果冻 スナック:点心

サンド゗ッチ:三明治

ホットドッグ:热狗

ハンバーガー:汉堡

ドーナツ:甜甜圈

デザート:糕点

パ゗:派 ケーキ:蛋糕

ゼリー:果冻 ◎西餐厅

四式食品:フランスパン:法国面包

ガーリックトースト:蒜泥吐司

ベ゗クドポテト:烤马铃薯

バター:奶油

ジャム:果酱

スパゲッテゖー:意大利面

マカロニー:通心粉

肉类:牛肉:牛肉

豚肉:猪肉

鶏肉:鸡肉

羊肉:羊肉

ビフステーキ:牛排 ハム:火腿

ベーコン:熏肉

ソーセージ:香肠 海产:鮑(あわび):鲍鱼

蛤(はまぐり):蛤蛎

鱈(たら):鱈鱼

蟹(かに):蟹

伊勢海老(いせえび)|ロブスター:龙虾

牡蛎(かき):牧蛎鮭(さけ):鲑鱼 貝柱(かいばしら):干贝

鱒(ます):鳟鱼

鮪(まぐろ):鲔鱼 蔬菜:白菜(はくさい):白菜

葱(ねぎ):葱

ゕスパラガス:龙须菜

カリフラワー:花椰菜

キャベツ:包心菜

レタス:莴苣

ほうれん草:菠菜

胡瓜(きゅうり):黄瓜

玉葱(たまねぎ):洋葱

ピーマン:青椒

牛蒡(ごぼう):牛蒡

南瓜(カボチャ):南瓜

セロリ:芹菜

人参(にんじん):胡萝卜

椎茸(しいたけ):香菇

蓮根(れんこん):莲藕 水果:西瓜(すいか):西瓜

蜜柑(みかん):橘子

オレンジ:柳登

パパ゗ヤ:木瓜

バナナ:香蕉

パ゗ナップル:菠萝

桃(もも)|ピーチ:桃子

マンゴー:芒果

ラ゗チー:荔枝

葡萄(ぶどう):葡萄

寻找餐馆:料理:菜

料理店:餐厅、菜馆

郷土料理(きょうどりょうり):地方菜 フランス料理:法国菜

゗タリゕ料理:意大利菜

レストラン:餐厅 シーフードレストラン:海鲜餐厅

中華料理:中国菜

懐石料理(かいせきりょうり):怀石料理 美味しい:好吃

本格的:地道的、正宗的店の名前:店名

蕎麦屋(そばや):面店

ラーメン屋:拉面店

フゔーストフード:快餐店

寿司屋(すしや):寿司店

歩いて:歩行

预订席位:予約を取り消す:取消预约

予約を変更する:更改预约

予約を済み:已预约

お日にち:日期

何名さま:几位

进入餐馆:窓際の席:靠窗的位子

テラスの席:靠阳台的位子

待つ:等

とおりに面した席:面对大马路的位子

連れ:同伴

相席(あいせき):同桌 点菜:メニュー:菜单

注文:点(菜)、指定

ワ゗ンのリスト:葡萄酒的清单お勧め料理:推荐菜 特別料理:特別菜单

コース:套餐

食前酒(しょくぜんしゅ):餐前酒

ハウスワ゗ン:自制酒

チキンコンソメスープ:清炖鸡汤

サーロンステー

キ:沙朗牛排

マッシュポテト:马铃薯泥 シーワードサラダ:海鲜生菜沙拉

豚肉:炸猪肉

白見魚(しろみざかな):炸白肉鱼

てんぷら定食:天妇罗定采

刺身定食:生鱼片定食

ゕ゗スクリーム:冰淇淋

デザート:餐后点心 在用餐时:フォーク:叉子

箸:筷子

塩:盐

胡椒(こしょう):胡椒

醤油(しょうゆ):酱油

ソース:调味酱

ジュース:果汁

甘く:甜的 持ち帰り:外带

袋:袋子

快餐、酒吧:ハンバーガー:汉堡

パン:面包

ゕンパン:陷面包

東京名物:东京名产

マクドナルド:麦当劳

シュウマ゗:烧卖

春巻(はるま):春卷

食券(しょくけん):餐券

ホットドッグ:热狗

カウンター:吧台

表达不满:違います:不一样

失礼しました:对不起

替え:替换

早く:快点 汚れ:不干净

生:生的焼けすぎます:烧得太老

新鮮ではありません:不新鲜

辛すぎます:太咸

冷えています:冷的

结帐:レジ:收银台

私の奢りです:我请客

サービス料:服务费

支払い:结帐

第三篇:旅游日语口试用语

ガイド

导游 自己紹介(じこしょうかい)自我介绍 観光資源

(かんこうしげん)

旅游资源 スケジュール

(日程

にってい)

日程 観光名所(かんこうめいしょ)旅游景区 行楽地

(こうらくち)

游览地 観光地

(かんこうち)

景点 観光中

(かんこうじゅう)

游览过程中 団体行動(だんたいこうどう)集体活动 迷子

(まいご)

お忘れ物

(おわすれもの)

貴重品

(きちょうひん)

自由行動

(じゆうこうどう)

集合時間(しゅうごうじかん)集合場所(しゅうごうばしょ)バスのナンバープレート

携帯電話番号

(けいたいでんわばんごう)迷惑メール

(めいわくメール)

名所旧跡

(めいしょきゅうせき)

ユネスコ

(UNESCO)世界遺産

(せかいいさん)

複合世界遺産

(ふくごうせかいいさん)非物質文化遺産

(ひぶっしつぶんかいさん)観光コース

(かんこうコース)注意事項

(ちゅういじこう)

歴史沿革

(れきしのえんかく)

文化特色

(ぶんかのとくしょく)

名人名句

(めいじんめいく)

後世の論説

(こうせいのろんせつ)

伝説(でんせつ)物語

(ものがたり)

説明ポイント

(せつめいポイント)

ご案内の骨

(ごあんないのこつ)中国語を日本語に訳しなさい(やくしなさい)

日本語を中国語に訳しなさい

南郊外(みなみこうがい)

西郊外(にしこうがい)南西

(なんせい)

浣花溪(かんかけい)梵安寺

(ぼんあんじ)

(ほとり)

安史の乱

(あんしのらん)

杜甫

(とほ)

李白

(りはく)

迷路(走失)

遗失物品

贵重物品

自由活动 集合时间 集合地点

车牌号

手机号

垃圾短信

名胜古迹 世界教科文组织

世界遗产 世界双遗产 非物质文化遗产 旅游线路

注意事项

历史沿革

文化特色

名人名句

后人评说 传说

故事

讲解重点

导游技巧

中翻汉

汉翻中

南郊 西郊

西南 浣花溪

梵安寺

安史之乱

杜甫

李白

白楽天

(はくらくてん)

白居易 茅葺

(かやぶき)

茅屋 繁盛期

(はんじょうき)

鼎盛期 衰退期

(すいたいき)

衰败期 浣花溪

(かんかけい)

浣花溪 従兄弟

(いとこ)

表弟 王十五

(おうじゅうご)

王十五 韋荘

(いしょう)

韦庄 高適

(こうてき)

高适 厳武

銭紹武

正門

大廨

史詩堂 柴門

工部祠

少陵草堂碑 杜甫の旧居

詩聖 浣花夫人 袈裟

お坊さん

黄庭堅

陸遊

人日

花の細道

代表作

三吏三別

出典

都江堰

青城山

楽山

峨眉山

雅安

蒙頂山

茶馬古道

シルクロード

恐竜博物館

五糧液

綿陽

三星堆

金砂

出土文物 国の文化財

严武

钱绍武

正门

大廨

诗史堂

柴门

工部祠

少陵草堂碑

杜甫故居

诗圣

浣花夫人

袈裟

和尚

黄庭坚

陆游

人日

花径

代表作

三吏三別、(いわく)

典故

都江堰

青城山

楽山

峨眉山

雅安

蒙顶山

茶馬古道

丝绸之路

恐龙博物馆

五粮液

綿陽

三星堆

金沙

出土文物

全国重点保护单位

(げんぶ)(せんしょうぶ)(せいもん)(だいかい)(ししどう)(しもん)(こうぶし)(しょうりょうそうどうひ)(とほのきゅうきょ)(しせい)(かんかふじん)(けさ)(おぼうさん)(こうていけん)(りくゆう)(にんじつ)(はなのほそみち)(だいひょうさく)(さんりさんべつ)(しゅってん)(とこうえん)(せいじょうざん)(らくざん)(がびざん)(があん)(もうちょうざん)(ちゃばこどう)(きょうりゅうはくぶつかん)(ごりょうえき)(めんよう)(さんせいたい)(きんさ)(しゅつどぶんぶつ)(くにのぶんかざい)広元

(こうげん)

广元 自貢

(じこう)

自贡 内江

(ないこう)

内江 宜賓

(ぎひん)

宜宾 蜀南竹海

(しょくなんちくかい)

蜀南竹海平武

(へいぶ)

平武 白馬チベット族

(はくばチベットぞく)

白马藏族 報国寺

(ほうこくじ)

报国寺 金頂

(きんちょう)

金顶 万年寺

閬中 南充

遂寧

大英死海

僰人 梓潼 七曲山 徳陽

孔子

則天武后

海螺溝

次郎山トンネル 高速道路

つり橋

離堆公園

上善若水

都江堰

李氷

鳥の嘴

魚の嘴

分水堤

飛砂堰

放水路

水門

宝瓶口 渇水期

洪水期

ヘクタール

内江

外江

蛇かご

石人

(まんねんじ)

(ろうちゅう)

(なんじゅう)

(ずいねい)

(だいえいしかい)

(ほくじん)

(しどう)

(ななきょくざん)

(とくよう)

(こうし)

(そくてんぶこう)

(かいらこう)

(じろうやまトンネル)

(こうそくどうろ)

(つりばし)

(りたいこうえん)

(とこうえん)

(りひょう)

(とりのくちばし)

(さかなのくちばし)

(ぶんすいてい)

(ひさえん)

(ほうすいろ)

(すいもん)

(ほうびんこう)

(かっすいき)

(こうずいき)

(ないこう

(がいこう)

(いかだ)

(じゃかご)

(せきじん)

(かなえ)

万年寺

阆中

南充

遂宁

大英死海

僰人

梓潼

七曲山

徳陽

孔子

武则天

海螺沟 二郎山隧道

高速公路

吊桥

离堆公园 上善若水

都江堰

李冰

鱼嘴 鱼嘴

分水堤

飞沙堰

溢洪道

水闸

宝瓶口 枯水期

洪水期

公顷

内江

外江

木筏

石笼

石人

「上善(じょうぜん)水の如(ごと)し」

悪事を働く竜

(あくじをはたらくりゅう)安欄橋(あんらんきょう)

伏竜観

(ふくりゅうかん)

二王廟

(におうびょう)

恶龙 安欄桥 伏龙观 二王庙

三国時代は、紀元220年から265年までです。

前漢

(ぜんかん)

西汉

後漢

(ごかん)

武侯祠

(ぶこうし)

(ぎ)

220年

曹操

(そうそう)

(ご)

222年

孫権

(そんけん)

(しょく)221年

劉備玄徳(りゅうびげんとく)

諸葛孔明(しょかつこうめい)

張飛

(ちょうひ)

関羽

(かんう)

庬統(ほうとう)

費褘

(ひい)

孟獲

(もうかく)

黄忠

(こうちゅう)

趙雲(ちょううん)

馬超

(ばちょう)

馬良

(ばりょう)

馬謖

(ばしゅく)

劉禅(りゅうぜん)

劉諶(chen)(りゅうじん)

东汉 武侯祠

曹操

孫権 蜀

刘备 诸葛亮

张飞

关羽

庞统

费褘

孟获

黄忠

赵云

马超

马良

马谡

刘禅

刘谌

金箔の泥塑像(きんぱくのどろそぞう)

贴金泥塑 魯粛

(ろしゅく)

魯粛 姜維

(きょうい)

姜维 鄧艾(とうあい)

邓艾 司馬懿

(しばい)

司马懿

赤壁羨道(あかかべせんどう)

红墙夹道

桟道

(さんどう)

栈道

岳飛

(がくひ)矢作り舟(やづくりふね)

草船借箭 適は本能寺(てきはほんのうじ)声东击西 南郊外

(みなみこうがい)

南郊 武侯祠大通り(ぶこうしおおどうり)武侯祠大街 漢紹烈廟(かんしょうれつびょう)

汉昭烈庙 贈り名

(おくりな)

谥号(shihao)君臣合廟(くんしんごうびょう)

君臣合庙 国の文化財(くにのぶんかざい)

全国重点文物保护单位 障壁

(しょうへき)

照壁 大門(おおもん)

大门 境内

(けいだい)

神社庙宇院内 唐碑

(とうひ)

唐碑

三绝碑

(さんぜっぴ)

三绝碑

明碑(みんひ)

明碑 明良千古(めいりょうせんこ)

明良千古 二門(にもん)二门 清朝

(しんちょう)

清朝 明朝

(みんちょう)

明朝 唐朝

(とうちょう)

唐朝 業紹高光(ぎょうしょうこうこう)

业绍高光 隆中対話(りゅうちゅうたいわ)

隆中对 名垂宇宙(めいすいうちゅう)

名垂宇宙 果親王

(かしんのう)

果亲王 文官廊

(ぶんかんろう)

文臣廊

武将廊

(ぶしょうろう)

武将廊

鐘楼

(しょうろう)

钟楼 鼓楼

(ころう)

鼓楼 千秋凛然(せんしゅうりんぜん)

千秋凛然

山東の沂南の出身(さんとうのきんなんのしゅっしん)山东沂南人 河北の涿州の出身(かほくのしょくしゅうのしゅっしん)河北涿州人 山西の運城の出身(さんせいのうんじょうのしゅっしん)山西运城人 誠貫金石(せいかんきんせき)

诚贯金石 義薄雲天(ぎはくうんてん)

义薄云天 三義廟

(さんぎびょう)

三义庙

中有漢家雲(ちゅうゆうかんかうん)

中有汉家云

心を攻める対聯(心を攻めるたいれん)

攻心对 淡泊明誌(たんはくめいし)

淡泊明志

寧静致遠(ねいせいちえん)宁静致远 三十六計逃げるに如かず

三十六计走为上 矢作り舟

(やづくりふね)

草船借箭 敵は本能寺

(てきはほんのうじ)

声东击西 三国文物陳列室(さんごくぶんぶつちんれつしつ)国のために、力を尽くして、死ぬまでやめない。諸葛孔明の前後の出師(すいし)の表(ひょう)

知恵の塊(ちえのかたまり)誡子書

(かいししょ)

五丈原

(ごじょうげん)

白帝城

(はくていじょう)

漢中(かんちゅう)剣門関

(けんもんかん)

翠雲廊

(すいうんろう)

劉備玄徳の陵墓(りょうぼ)

恵陵

(けいりょう)

殿堂

(でんどう)

腐れ縁

(くされえん)

すっぼんとお正月(おしょうがつ)

出たこと勝負(でたことしょうぶ)

朱門に酒肉が臭く、道に凍死の骨ある 蜀犬日に吠える(しょっけんひにほえる)

三国文物陈列室 鞠躬尽瘁死而后已 诸葛亮前后出师表 智慧的化身

诫子书

五丈原

白帝城

汉中

剑门关

翠云廊

刘备墓

恵陵

殿

孽缘(冤家)

熊掌和鱼翅

车到山前必有路 朱门酒肉臭路有冻死骨

蜀犬吠日

第四篇:西安旅游名迹日语导游词

西安碑林博物館

西安碑林博物館は西安の南城門の東にある三学街にあります。碑林とは石碑が林のように立ち並んでいることから、名づけられたそうです。西安碑林博物館は唐には太学でしたが、宋の時代に西安の孔子廟として建てられました。1950年に陝西省歴史博物館として増築されましたが、新しい陝西歴史博物館の開設とともに、出土文物がそちらへ移されたために、現在、ここは完全に石碑の博物館となりました。碑林博物館は敷き面積が三万平方メートルあまりで、陳列内容が西安碑林と石刻芸術の二つの部分に分けられています。展示されている作品は三千点もあるそうです。中国の伝統的な習慣によれば、門は南向きであるはずなのに、この門はどうして東向きとなっているのか、皆さんはたぶん不思議に思われるかもしれません。それは孔子廟だからなのです。ここだけではなく、すべての孔子廟の門は東西にあります。これは「礼門儀路」と言われ、「礼儀の門」と言う意味だそうです。

東の門を入ると、まず目に入ってくるのは日本の鳥居みたいな建物です。これは中国では「牌楼」と言われるもので、徳望のある人の功績を称えるために造ったものです。最初の門を入ると、東西両側には展示室が続いています。前は真ん中の小道の両側には馬を繋ぐ用の石柱が28個ありました。ここは昔は今の駐車所みたいなところだそうです。

もっと奥のほうへ行きますと、もう一つの門があります。そのもんを入ると、両側にはそれぞれひとつの亭があります。東の亭には大きな鐘が置かれ、唐の景雲年間に造られたもので、「景雲鐘」と呼ばれています。景雲鐘は重さが6トン、鐘の銘は18行、292字、内容も道教の神秘さを称えたもので、唐の睿宗の真筆、文章も睿宗のです。中央ラジオ放送局から放送される「除夜の鐘」はこの景雲鐘の録音だそうです。西の亭にはある石馬は424年に造られた夏の時代のものです。夏は21年しか続かなかったので、この石馬はきわめて珍しいものです。もうちょっと前のほうへ行きますと、碑林のシンボルとなっている石碑が見えます。それは皆さんによく知られている石台孝経です。この石碑は高さ、5.7メートル、四つの石から成り立っていて、碑林博物館の中では一番大きな石碑だと言われています。「孝経」は孔子の弟子の曾参と言う人が書かれた親孝行についての本です。唐の玄宗皇帝が孝経を注釈し、序を寄せ、隷書で書いたもので、自ら「孝」と言う思想で国を治めたいということを表しています。碑額の題字は皇太子・李享の書だそうです。

これから石碑の展示室をご案内します。あわせて七つもありますが、それぞれ大きさも内容も違っています。展示の石碑は漢の時代から清の時代までの各時代の代表作が揃っています。石碑には歴史実録や、仏教、古代の名作などが刻まれています。

第1陳列室には、「開成石経」が収められています。それは唐の文宗の開成2年に長安城の国子監、つまり皇族、貴族の子弟の教育機関・太学に立てられました。これは、封建社会の知識人の必ず読書・学の経典12経の全文65万252字を114の石碑の両面に彫ったもので、清代に「孟子」3万余字が17面に彫り加えられ、あわせて13経68万字余となりました。学の経典には「周易」「尚書」「詩経」「周礼」「儀礼」「礼記」「春秋左氏伝」「春秋公羊伝」「春秋穀梁伝」「論語」「孝経」「爾雅」など12経が含まれています。「開成石経」わが国における唯一完全保存されている石刻経典です。

第2陳列室に展示されているのは唐代の有名な書道家が書いた石碑です。後世の書法の手本となったものばかりです。初唐の欧陽 が書いた「皇帝誕碑」、その息子の欧陽通の「道因法師碑」顔真卿の書「多宝塔碑」と「顔氏家廟碑」、それから、晩唐の柳公権の作品「玄秘塔碑」などがあります。

第3陳列室には歴代の各種の書体があります。篆書、隷書、楷書、行書、草書の五つの書体が含まれています。これらの石碑を通じて、中国文字の変遷が分かっていただけます。「偏旁部首字源表」は『説文』の中の部首で、偏旁540が篆書で書かれ、楷書で注釈をついています。宋の時代の夢英という和尚の書です。また、「千金文」「大観聖作之碑」などが保存されています。第4陳列室には、主に歴史を記録している有名な石碑が展示されています。これらの石碑は明・清時代の苦しい生活と陝西省の人民が奮起し抵抗した反抗の歴史を表しています。第5陳列室には宋、元、明、清の各時代の寺院の改修記録、功労の記録、橋や城壁改修の記録や詩文など、当時の地方史研究における貴重な資料があります。第6陳列室には、元明清の各時代の詩文の石碑があります。第7陳列室は、1982年建てられたもので、「宋淳化秘閣帖」を専門に保存しています。全部で10巻ですが、前の5巻は歴代帝王と名臣、有名な書家の楷書、草書、と古書各体で、後の五巻は王羲之と王献之の草書です。

石刻陳列館は1963年に建てられたもので、先生省各地に散在していた前漢時代から唐代までの作品70点余を集め、墓石と宗教石刻に大別し、年代順に並べました。陳列室には石棺、仏像、石刻の動物などの貴重なものが集められています。漢、唐の石刻は質量とも抜群で、中国彫刻史上飛びぬけて高い地位に立っています。中国における石刻芸術の起源を示す貴重な資料となります。

簡単ですが、以上は碑林博物館にいての説明です。ご静聴,どうもありがとうございました。

大雁塔

大雁塔は西安の南の郊外にある「大慈恩寺」の境内にあります。「大慈恩寺」は648年に唐の高宗・李冶がその亡くなった母親の冥福を祈り、慈恩を報いるために建立したお寺です。当時の「大慈恩寺」は僧侶部屋が千八百九十七室で、僧侶三百人が住んでいたが、唐代の末期の戦火のために焼き払われてしまったので、今大きさはそのときの十分の一に過ぎません。現在の境内のある建物は大雁塔だけが唐のもので、後はほとんど明や清の時代の造りなおしたものです。さて大雁塔が建てられた由縁は何でしょうか。皆さん中国の古典名作の「西遊記」をお読みになったと思いますが、その中の主人公の玄奘三蔵法師ははるばるインドへから持ち帰った経典をここで翻訳したのです。大雁塔はその貴重な経典を保存するために当時このお寺の住職さんだった玄奘三蔵法師の提案と皇帝の援助によって652年に境内の西院に建てたものです。「大慈恩寺」の中にあるので、「大慈恩塔」とも呼ばれています。皆さんご存知のように「大雁塔」の本名は「慈恩寺塔」ですが、なぜ今の「大雁塔」という名前に変わったのですか。それについては二つの言い方があります。その一ですが、『慈恩寺三蔵法師伝・巻三』にマガダ国に寺があり、ある日、雁が群れを成して、空中を飛びすぎたが、突然その中の一羽が地に落ちて死んだ。僧侶たちはこれに驚き、それを菩薩だと思い、衆議の末、雁を埋め塔を建てようと決めたと記されています。このことからこの塔を大雁塔と呼ぶようになったと伝えられています。もう一つの言い伝えですが、仏教には大乗教と小乗教がありますが、大乗教は肉を食べてはいけないことですが、小乗教は食べても構わないことになっているそです。そのころのインドで、ある日小乗教の僧侶たちが肉の無いことに悩んでいる時、、誰か一人が“今日はお釈迦様が貧しい人に施しをする日だ”と思い出した。そこで、皆で「お釈迦様、お助けください。」と唱えました。そのとたん、一羽の雁が彼らの目前に落ちてきました。これを見て、僧侶たちはびっくりして、まさか彼らの食欲を満たすためにお釈迦様が自分の身を捨てて、雁に変身されたではないかと悟りました。お釈迦様が私たちのために自分の身も捨てましたが、私たちもお釈迦様のために何かしないといけないと思って大乗教を信じ、肉を食べないことにしました。そして、その雁の落ちたところに、「雁塔」を建て、お釈迦様の慈悲の心を後代に伝えようということです。以上はいずれも美しい伝説ですが、資料によりますと、唐のこの大雁塔が玄奘三蔵法師がインドの雁塔に基づいて設計したものなので、「雁塔」と名づけられたそうです。その後、薦福寺にも「雁塔」が建てられましたが、これは小さかったので、「小雁塔」と呼ばれ、「大慈恩寺」の「雁塔」を「大雁塔」と呼ばれるようになったのです。

先ほど申しました玄奘三蔵法師が日本人の中でも馴染み深いの高僧ですが、彼は629年に27歳のとき、皇帝の許可ももらわずに一人で長安を立ち西へのたびを始めました。シルクロードを通って、西域百二十カ国を歴訪し、インドでの遊学を終えて、16年後の657年に彼は115粒の仏舎利、八体の仏像と657部の経典とともに長安に帰り着き、持ち帰った経典はこの寺で十二年間にかけて翻訳されました。唐代は仏教のとても盛んな時代でしたから、仏教に力を尽くした玄奘法師も非常に人望がありました。彼の功績を称えるために、唐の高宗と太宗はそれぞれ絶賛と感謝の意を込めた文章を書かれました。この文章は唐の有名な書道家・ちょ遂良によって石碑に刻まれ、今も大雁塔の上に保存されています。彼が著した『大唐西域記』は後世の人々に西域諸国研究、特にヨーロッパの考古学調査

研究に対して、欠かせない貴重な資料となっているものです。いわば、『世界考古案内・天竺篇』と言ったところでしょう。前にご案内したように大慈恩寺の中の建物は大雁塔を除いて、大体は明清のものです。中の鐘楼と鼓楼はお寺に住んでいる僧侶たちに時刻を知らせるために造られたものです。お寺には二つの建物がありますが、一つは「大雄宝殿」と呼ばれ、その中にはお釈迦様の三身佛が祭られております。もう一つは法堂という建物で、その中には阿弥陀仏の像が祭られています。特に法堂の東の壁には玄奘三蔵法師が昼も夜も休まずに歩き続けてインドから帰国するときの拓本が掛けてあります。この拓本を見たら玄奘が一生懸命仏教にしたありさまを偲んでいただけると思います。法堂を通って、大雁塔の真下に着きます。史書によりますと、大雁塔は最初に煉瓦で外側を固められた五重の正方形の建物でしたが、則天武后の長安年間に大改造を行ったので、十層になりました。しかし、その後の戦乱などで七層から上が崩壊し、残った七層をレンガで表を固めて修復し手、今の姿になったのです。現在の塔は高さが64メートルで、中には螺旋状の階段が付いており、一番上まで登って頂いたら、西安のきれいな町風景が見られます。大雁塔にはすでに千三百年の歴史があり、その間震度七級以上の地震に二度見舞われていますが、無我氏の雄姿をそのままに見せています。

大雁塔と同じ毎日数多くの国内外の観光客を迎え、その大唐の雄姿を見せています。

華清池

華清池は西安の東にある驪山の麓にある観光地です。ここは都にも近いし、温泉も沸いているから昔から皇族たちの行楽地として栄えてきたのです。

ここで、温泉に入ったりして行楽を始めたのが今から3000年ほど前の西の周――西周時代の国王・周幽王でした。しかし、当時はまだ宮殿などの建物がなく、お風呂も「露天」の状態で、星が見えていたので、「星辰湯」と呼ばれていました。これが華清地の初めての名称でした。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の愛情物語は誰でも知っているでしょう。そのラブストーリの舞台はここ華清池でした。

華清池は西、中、東の三つの部分からなっています。九つの龍の池――九龍池を中心とした西の部分は20世紀の50年代に再建されたのです。

九龍池は面積5300㎡で、九龍という堤防に分けられ、上下二つの部分になっています。一つの大きいな龍と八つの小さいな龍の頭が造られ、水が龍の口から池へと流れ込んでいます。これが、九龍池の名称の由縁でもあります。九龍池の北には、「飛霜殿」を中心とした建築群があります。それは玄宗皇帝と楊貴妃の寝殿――と言われています。両側にあるのは「沈香殿」、「宜春殿」です。

1982年4月、ここで建築工事を始めたところ、華清宮御湯遺跡が発見されたのです。後の考古学発掘では、4200㎡に及ぶ範囲内において、星辰湯、蓮花湯、海棠湯、太子湯、それに尚食湯という五つの温泉風呂があったことが判明しました。1990年10月に「華清宮御湯遺跡博物館」がオープンしました。

蓮花湯は皇帝専用で、蓮の花の形をしています。

海棠湯は楊貴妃の専用のものだから、貴妃池ともいいます。また満開した海棠の花のような形もしているから、どこからとなく女性らしさが漂っています。

太子湯は文字通り太子が入浴する場所で、尚食湯は大臣など皇族以外の人が使うお風呂です。星辰湯はいわば露天風呂のことであるが、唐の時代から使い始めたものではありません。

現在、温泉の泉は四つあり、一時間あたり112トンのお湯が湧き出ています。

昔からここの温泉が皮膚病やリュウマチには治療効果があることに気づき、利用してきました。

望湖楼の北側には蓮池があります。池の中に造られている高殿も「蓮花閣」と呼ばれてきました。「蓮花閣」の南西にある建物は「飛霜殿」です。また、楊貴妃が温泉からあがるたびにここで髪の毛を乾かしていたと伝えられきました。

秦の始皇帝陵

秦の始皇帝陵は、西安市の東に臨潼という町から東へ5キロ行った所に位置しています。2200年ほど前に造られた秦の始皇帝陵は長年風雨にさらされ、地上の建築などほとんどなくなってしまったが、関中平野を見下ろすその威容はいまだに始皇帝の栄光と威厳を物語っています。秦の始皇帝陵は中国史上初めての皇帝の陵であり、世界おいても最大級のものです。また、これに埋められている珍しい文物はいったいどれほどあるかは計り知れなくて、いまだに未知数のままです。

秦の始皇帝陵を見学するに当たって、まず秦の始皇帝はどういう人物かを知っておく必要があるでしょう。秦の始皇帝姓は名は嬴政で、紀元前259年に生まれ、13歳で国王になりました。しかし、10年後22歳で自ら政務を執り始めたのです。実権を手にした秦の始皇帝は改革を断行することによって、国力を急速に強め、10年というわりと短い期間で、他の六つの国を滅ぼして中国全土統一という快挙を成し遂げ、自ら始ての皇帝――始皇帝と称しました。紀元前210年7月、地方視察の途中で倒れてしまい、50歳で亡くなりました。

秦の始皇帝は傲慢で、決断力があり、権力闘争に長じていると同時に非常に冷酷的で残忍でした。一方、秦の始皇帝が歴史上最も勤勉な皇帝の一人です。秦の始皇帝に対する評価は昔から分かれており、今でも論争の対象となっています。しかし、これだけは弁論の余地のない事実でしょう。彼は中国歴史の進行に極めて重大な影響を与えた人物であり、2000年も続いていた中央集権政治の創始者で、史上始めての皇帝です。

秦の始皇帝陵の平面図はほぼ正方形しています。底辺の長さは、南北350m、東西は345mです。もちろん、この数字は現存の陵墓のものであるから、当初はもっと大きかったにちがいません。

秦の始皇帝陵は、実は敷地面積が200万㎡を超えた巨大な霊園でした。漢字の回数の「回」という形をしている二重の城壁がありました。城壁の東西南北にはそれぞれ城門が一つずつ、四つの曲がり角には「角楼」という建物が造られていました。当時天下無敵の秦の軍隊がこの城壁で物々しく警備していたでしょう。

内側の城壁に囲まれていた部分は内のお城――「内城」といいます。内城の中心は言うまでもなくし皇帝の陵墓です。秦の始皇帝は、狭い寝殿が天下始ての皇帝という身分にはふさわしくないと思ったでしょう。

内側の北側では寝殿遺跡のほか、「便殿」という格式のランクが一つ低い宮殿の遺跡も発見されています。

では、秦の始皇帝がなぜ国を挙げて陵墓を造ったのでしょうか。それは昔中国では、「死ぬ」とはもう一つの世界に旅たつことであり、「死んだ後」でもあの世で暮らしをすることができると考えられていました。秦の始皇帝陵はあの世における秦の都であるといえるかもしれません。

兵馬俑

兵馬俑は秦の始皇帝陵から東へ1.5キロのところにあり、1987年、ユネスコによって世界文化遺産に指定されたのです。皆様のご存知のように、兵馬俑は秦の始皇帝が自分の陵墓の東に造った大規模な「軍隊」です。それを造った目的は何だったでしょう。「死後の世界」を固く信じていた秦の始皇帝は自分の陵墓を「地下の都」のように造り、あの世でも皇帝をやり続けたいと思っていました。

兵馬俑を保存して、展示するため、遺跡の発見された現場に「秦の始皇帝陵兵馬俑博物館」が造られています。これは中国における最大級の遺跡博物館であり、一号館、二号館、三号館と言う三つの遺跡現場展示室と、出土文物展示室や秦の始皇帝陵銅車馬展示室など、五つの部分からなっています。

秦の兵馬俑の発見は偶然とも言えるでしょう。1974年、西安一帯は激しい日照りになりました。干害に悩まされていた地元の農民たちが井戸を掘りました。工事を始めた農民が3Mほどの深さまで、掘ったときに、まず焼かれた土がそれから炭や灰が次から次へと出てきました。ちょっと不思議に思った彼らは昔の煉瓦を作る窯元に出会ったと思い、井戸を掘り続けていました。ところが、5mの深さまで行くと、今度は西側の壁から人間の顔をしている埴輪の破片が現れてきました。時は1974年3月29日のことでした。秦の兵馬俑がこのようにして見つかったのです。この大発見を記念するため、一号館には農民たちが掘った井戸も遺跡として保存されています。パッチファイルセット

さいきん

秦の始皇帝陵については「史記」や「漢書かんしょ」などの史書ししょがその記録を残しているが秦の兵馬俑については何の記録もありません。そのため、兵馬俑坑の正確な建造年代がわからないです。しかし、兵馬俑坑から出ている煉瓦から手がかりをつかむことができるでしょう。兵馬俑坑の地面が大量の煉瓦によって舗装されています。これらの煉瓦の製造元はいずれも秦の始皇帝が中国統一した後の宮廷専属の窯元ですから、兵馬俑坑の工事が中国統一してからのことであると考えられます。もし、兵馬俑坑の工事が中国統一したの紀元前221年から始まって、農民蜂起が全国に広まった年の紀元前209年に終わったとすると、およそ10年間続いていたことになります。

兵馬俑坑は発見された順序に一号坑、二号坑、三号坑と名づけました。今、皆様がご覧になっているのは一号坑です。

一号館は秦の始皇帝兵馬俑博物館最初の建物で、1979年10月1日の国慶節に博物館は正式に開館しました。東西210m、南北62mの長方形をしているもので、発見された三つの俑坑の中では規模の最も大きい遺跡です。地面から4.5m~6.5mの深さに1000あまりの兵隊の埴輪が立っています。戦闘馬車8台と馬の埴輪32体も出土しています。九つの行列になっています。現在、ここの発掘はまだ継続中なので、埴輪の数が正確には分からないが、今までの調査結果から推定すると、たぶん6千体くらいあるだろうと思われます。線を引くかれる

一号館の兵馬俑は、歩兵ほへいを中心とした主力部隊です。その役割から見ると、先頭部隊や主力部隊、それから側面部隊や後衛部隊に分けられます。戦闘部隊は文字通り一番先のほうにあります。秦の兵馬俑は当時の軍隊をモデルにして造られたものだから、軍の階級なども埴輪はにわからはっきり判断できます。階級の一番低い兵士は、髪の毛を高く束ねて、短い戦闘服を着、鎧よろい(铠甲)を着けず、ゲートルを巻いています(扎裹腿)。これより階級ちょっと高い兵士は、髪の毛を高く束ねたばね、小さい丸い帽子をかぶり、長い戦闘服を着て、黒の長い鎧をつけています。最も目立つのは何いっても将軍俑です。将軍は、先端が巻いている高い冠をかぶり、これをとめるためのリボンが顎の下で丁寧に結ばれ、胸まで格好よく垂らされています。また、鎧も独特な形をして両肩と胸のところでリボンによって結ばれています。

次に、入るのは二号館です。二号館の兵馬俑はの遺跡はゕルフゔベットの「w」の形をしており、東西最も広い所の幅は96mで、南北は84mです。四つのブロックに分けられています。弓を持っている努兵、戦闘馬車、歩兵、騎兵からなっています。この陣立ての形は攻めることも守ることも自由にでき、秩序が保ちやすく、攻められやすい場所がありません。二号館の建物は秦の始皇帝兵馬俑博物館における最も近代的な建物で、1994年竣工し、オープンしたのです。

1987にオープンした三号館で展示されている兵馬俑は1976年に発見されたものです。三つの兵馬俑坑の中で、唯一発掘が完成したのが三号館のほうです。三号館の兵馬俑坑が東西が17.6m、南北が21.4mで、規模としても一番小さいほうです。

ここからは馬車1台、馬の埴輪4体、武士の埴輪68体、それに34点の青銅製兵器が出土されています。専門家たちは三号館の遺跡は宿衛軍全体の統帥する司令部であると推定しています。一号館、二号館の兵馬俑坑はみな激しく焼かれた痕跡あります。これは項羽が咸陽に入って阿房宮とともに焼いたのではないかと推測されています。しかし、不思議なのはこれと違って三号館の兵馬俑坑が焼かれた痕跡はまったくありません。そのおかげで、ここの兵馬俑が出土されたとき、皆鮮やかな色彩が着いたままでした。残念なのはこれらの色を保存する技術が無く埴輪が出土してから三日ほど経つと、水分が蒸発して色が全部落ちてしまったのです。

1980年12月、秦の始皇帝をさらに掘り進めて見ると、陵の西側20mのところから、副葬の銅製の馬車が二台発見されました。大きさは実物の二分の一です。始皇帝は皇帝になってから5回全国を巡視したが、その時使用した乗り物はこのような銅車馬であったことだろうと伝えられています。

1号車は先導車で、「高車」と呼ばれます。車体は長方形です。御者は、馬の手綱を手にし、前方を望んで立っています。腰には剣、頭に冠をかぶっています。車の中には鏃、弓、盾などがあります。ここに装備されるものから、この1号車は2号車の安全を守る護衛の車だということが分かります。車体には傘がついており、鍵で開いたり、閉じたりできます。二号車は「安車」と呼ばれ、壁によって、前の御車席と後ろの主人席の二つの部分に分けられています。車体には、小さいな窓が三つあり、温度によって開閉する自動式です。扉はハンドルであけるようにしていますので、現在の自動車のドゕと同じ仕掛けなのです。銅車馬は大きさが実物の二分の一ですが、実物の車や馬、人物をモデルにして、製作されたものなので、まったく実物の馬車と同じです。馬も御者も生き生きとしています。銅車馬は3400点の部品から組み立てられています。構造が複雑で、細工は精巧を極めています。車体には、金銀のメッキが施され、車体の彩色画も色鮮やかで、上には四角形、雲、龍、鳳凰などが浮き彫りにされています。2号車の屋根の面積は2.3㎡で、青銅で一度鋳造されて最も薄い所で1cmで、厚い所でも4cmです。車馬の装飾に使われている銅線は、直径0.5ミリから1ミリほどしかないです。これで当時の伸線技術がたかったことが

分かるが、いったい、どのようにして太い銅線を細くしたのか、まったくの謎です。銅馬で注目されるのは、金銀の飾り物です。金は747点、銀は847点ありますが、特に、金銀だんだらの管の環は、どのようにして溶接されたものか、想像がつきません。金銀は溶解点が異なるので、当時の溶接、冶金技術の高度さが注目されるわけです。銅車馬は中国における最も大きな青銅器としてますます世界に広く知られるようになっていくでしょう。

陝西歴史博物館

皆様、今日見学のは陝西歴史博物館です。陝西歴史博物館は古都西安にふさわしく、唐代の様式を取り入れた堂々たる建物の国立歴史博物館です。皆様のご存知のように、陝西省は都として1100年の歴史があり、また、周、秦、漢、唐のような繁栄していた時代でした。ですから、陝西の歴史はある程度中国の歴史を演じています。

館内に入って、まず目につくのは、大きな石の獅子ですが、これは則天武后の母親の墓・順陵の獅子の模造品です。

第1展示室は、約115万年前の旧石器時代、藍田猿人から始っています。藍田猿人は西安市東南の藍田県から出土しました。西安市東郊外の半坂村から発見された半坂遺跡は、仰韶文化の村落遺跡です。約6000年くらい前のものと推定されています。その集落が居住区、製陶区、埋葬区などに分かれていることです。彼ら、は農耕作業をし、家畜を養い、魚を釣り、弓矢で獣を捉えるなど、生産のための道具を駆使しています。陶器は、彩りの鮮やかな彩色陶器です。半坂人は、母系会社です。獣の骨で、こしらえたネックレス、そして、ブレスレット。また、人面魚紋を始とする美しい陶器の模様。

今から約5000年ほど前の龍山文化は、新石器時代の晩期に当たり、父系社会の始まりでした。この時代において、男性は女性に代わって社会の中心となり、支配地位を占めるようになりました。

ここに展示されているのは、旧石器時代や新石器時代の代表的な文物で、先史時代の人々の生活ぶりを現しています。

周の時代は、特に青銅器の製造と使用が盛んで、青銅器が精巧なものになっていた時代なので、「青銅器時代」とされています。青銅器は、銅や錫との合金で、色が青黒いため「青銅器」と呼ばれるようになりました。博物館に展示されている青銅器は祭礼の楽器、生産、生活用具、実戦兵器などがあります。デザインの美しさ、銘文内容の重要さなど、世界美術史上も貴重なものです。陝西省から出土した青銅器は全部で3000点あまりで、そのうちの2000点あまりがこの博物館に保存されています。青銅器のほかに、鉄製農具の使用によって農業生産力が増大し商工業が発達したこともこの時代の特徴なのです。

この展示室では、秦の足跡を展示しています。春秋戦国時代の秦の都は、雍(現在の風翔県の南)でした。秦は、戦国時代末期(前221年)6国を制覇して、中国最初の封建統一国家です。時の秦王・嬴政は自ら始皇帝と号し、郡県制、通貨統

一、度量衡統

一、文字統

一、法令統一を始、車の轍まで統一すると言う、徹底した法治主義を貫き、思想言論にも、弾圧を加えました。

展示品の中には、雍城の遺跡や咸陽の宮殿遺跡から発掘した瓦、煉瓦などの建築材料をはじめ、鉄や青銅の生産用具、武器などが並んでいます。始皇帝の事業の一つ、通貨の統一をあげることができるが、当時の貨幤関係の資料も展示されています。

秦が滅亡してから、西暦前202年、漢王朝の時代となりました。漢代の都・長安城は中国の歴史における初めての国際的大都会で、当時、ローマ帝国の都・古ローマより2倍ぐらい広かったと言われます。ここに展示されている陶製の水道管は、漢の長安城遺跡からの出土品で、現在我々が使っている水道管とよく似ています。そこから、当時の長安城はすでに立派な排水システムを用いたことが分かります。紙の発明はかなり古く、西安・灞橋の漢墓などからも、植物織維で造った紙が発見されていますが、さらに、良質の紙が造られたのは105年の蔡倫の発明からです。漢の第7代皇帝・武帝の時に開かれたシルクロードは、東西文化交流のかけ橋としてよく知られています。シルクロードを通じて中国から、絹、漆器、鉄器の作り方や井戸の掘り方などが西方に伝えられ、西域、中央ゕジゕからは、ザクロ、ブドウ、胡桃、蚕豆、香料、宝石などが大量に入ってきました。

西暦220年から581年にかけてのこの時期は、強力な中央政権を欠き、王朝の交替がしきりであって、社会的な混乱に明け暮れた時代でした。220年から280年にかけては三国時代でした。263年、蜀は魏に滅ぼされ、ついで魏と呉は晋に滅ぼされて三国時代は終わりました。戦乱に苦しむ庶民の解脱願望によって、仏教は大幅に広め、大変盛んになり、したがって、陝西省からこの時期の石窟、仏像などが数多く発見されたのです。ここにある仏像はいずれも傑作です。

隋は、589年の成立です。隋は短命で、わずか2代38年で、滅びます。李淵が子の李世民に勧められて挙兵、長安を占領し、618年に唐を建国し、初代皇帝・高祖となりました。唐は引き続いて、長安城を完成しました。日本の古代都市平城京や平安京はもともとこの長安城をモデルとして、造営されたといわれています。しかし、その規模を比較すると、長安城は平城京の約4倍、平安京の約4倍の広があり、都長安は唐の盛時には人口100万、世界最大の都市として繁栄しました。

隋・唐展示室では、金銀の器具、唐三彩、磁器、瑠璃器具など当時の繁栄を偲ばせるものがずらりと並んでいます。特に、1970年に西安南郊外から発見された大量の金銀器具は唐代の絢爛ぶりを示すものです。中でも、五足の銀の透かし彫の薫炉は、実用品でありながら、極めて芸術性の高いものになっています。

法門寺から出土した大量の唐代の宝物も陳列されています。これらの金や銀の細工物は、精巧、華麗で、思わず嘆声が洩れるほどです。唐三彩は、西安、洛陽一帯に分布していますが、出土数が大変少なく、大変珍しいものです。陳列されている馬、駱駝、宮女、各種生活用品など、題材も豊富です。工芸水準も大変高いものです。葬式の行列に使う冥器などでも、工芸水準は大変高いものです。

宋元明清の時代は、政治、経済、文化の中心が東に移りましたが、陝西地方は重要な軍事地区であり、西北地方の政治、軍事、経済、文化の中心でした。

展示品の中では、宋の磁器が注目されます。上薬は青が主で、蓮花の紋様が最も多く、そのほかに、牡丹、鶴、鳳凰、魚、鴨などもあります。

皆様、陝西歴史博物館の解説はこれで、終わりました。ご静聴ありがとうございました。

第五篇:我的日语文章 旅游感想

日本の印象

私は日本に参りまして、4ヶ月に経ちました。日本の生活にも惯れてきましたし、日本语も大分わかるようになりました。

今日は私が日本に対する印象について、话したいと思います。

日本に来て、最初の印象は先ず、交通のルールを皆さんがよく守っていて、车多い割りに交通事故は少なく、スムーズに流れていると思います。

そして、电车の凄さです。朝の通勤ラッシュ时间帯において电车本数の多さと利用客の多さに惊きました。このような电鉄システムがあるので、大都会东京、大阪のような卫星都市型に成り立っているからです。

ただ、一つ残念なことに日本の漫画や雑志について、単纯に売り上げや、视聴率を追求して、その内容を问わず、やがて、青少年に悪い影响を及ぼすことに违いません。それと同様に携帯电话の普及に伴い、小中高生の持ち率も年々上がり、出会いサイトやネット上の中伤など、青少年の犯罪や、自杀等年々増え、社会问题にもなっています。

社会が进化に连れ、いいことが多いですが、必ず副作用のようなものも付いてきます。それに対する対策をも当然改善していますが、青少年には有効な制限或いは措置を望みます。

以上私の日本に対する印象と感想です。

ご清聴ありがとうございます。

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